立憲民主党  阿部とも子さんより激励された。

 私が市長候補者となることを決意する前に、親しい友人の意見を聞いたりした。皆さん、厳しい意見が多く、賛同する方はほとんどいなかった。
 しかし私を生まれる前から知っているといつも話す、小澤俊夫さん(日本のドイツ文学者、筑波大学名誉教授)は全く違っていた。すぐに応援してくださり「いづみちゃんのご両親もきっと賛成している」「いづみちゃんになら出来る」と私の心を押してくださった。
 決心したと伝えるとすぐに推薦文を書いてくださったし、「そうだ!」と言って立憲民主党の阿部とも子さんに連絡をして、お目にかかる段取りを付けてくださった。彼女に応援してもらうことがきっと大きな力になる! 私もそう感じて、私たち市民が作り上げた『「みんなが主役」市民の会ー夢をカタチにー』のメンバーと共に議員会館でお目にかかった。
 阿部とも子さんは「候補者になったからには絶対に勝つ!」「お目にかかった方は一人残らず味方にするその決心が大切。」「しっかり握手(両手)をしながらきちんと相手の方の目を見ること。」「応援してくださる方々に報いるためにも絶対に勝つ!」など候補者としての心得などもお教え頂いた。握手をしている写真も撮って頂いて、「この写真を上手に活用しなさい。かならず頑張るように」と激励を受けた。ありがたいことだったし心の準備が出来た。
 まだ上手に握手が出来てはいないけれど、握手するときには必ずそばに阿部とも子さんがいて、「気をこめなさい。あなたの思いを伝えなさい」と耳元で声を掛けてくださっている。
 

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阿部とも子さん(右)とともに
 
 池田いづみの母、鳥海道子は23歳の時(独身時代)日本キリスト教矯風会より派遣され、1939年1月16日、中国北京天橋貧民窟にセツルメント「愛隣館」を開館した。医師・看護師は日本から参加現地スタッフ。母は主に事務局・授産部・日本語教師・募金担当。
 その時同じ教会のメンバーとして出会った小澤さくらさんは母のよき後援者としてまた、実際に中国の貧しい娘達に和裁の指導などして彼女たちの経済的自立を助けた。
 小澤さくらさんにはその時まだ幼い4人兄弟(長男は芸大で彫刻を学び、次男はドイツ語(今は昔話研究家)三男は世界的指揮者小澤征爾、4男は早稲田から演劇を学び役者となり…。)がいて、母にとって彼等と過ごす時間は、ホットする暖かい時間だった。その後、母は父と出会い結婚。さくらさんは姉のように母を受け入れて、日本への引き揚げ後もずーっと池田の家とのつながりがあった。私は赤ちゃんの時から彼等の家に母の忙しいときには預けられてかわいがって頂いた。中学時代は家庭科の宿題を持って小澤家に泊まり込み、さくらおばさまの指導でミシン掛けをしたり、刺繍をしたりした。母が清廉潔白な人だったので、小澤家の自由さは私にも安らぎだった。

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