市長選 挑戦への決意


私がこの市長選に挑戦しようと決意したのは、「みんなで清瀬の市政を考える会」の方々

との出会いです。

 私は今まで清瀬市男女共同参画センターのメンバーとして、一般の方々よりは清瀬市に対して意見を言ってきた市民だとは思うのですが、思い返してみるとそれは出産・子育てを通じて自分の住むまちについて疑問や不満を持った時から始まっていたと思います。 

 そこで子育てが一段落した1994年に、この町はどんなまちなのかを知ろうと思い、清瀬市の広報課が発行する「Ms・スクエアー」に作文を書いて公募し、編集委員となりました。ちょうどその頃北口駅前再開発が進められていて、アミュービルの中に清瀬市男女共同参画センター愛称「アイレック」が出来ました。(1995年) そのことで「Ms・スクエアー」は、単なる市の施設や行事を女性の視点で見て記事を書く広報誌から、男女平等・ジェンダーの視点で、女性や男性が抱える問題を取り上る発行誌となったのです。驚いたことにそこでは、市民参画という手法で運営が行われました。それは市民を活かす。大げさに言えば「もしかしたら市の施設や行事を通じて一市民である自分の思い(企画)が自己実現できるのでは」と感じさせる。いいえ本当に自己実現が体験できる市民にとって大きな夢をカタチにする施策でした。初期の時代にアイレックに関わった皆さんは、アイレックまつりを始め様々な活動に、それぞれの都合の良い時間帯、自分らしい講座で、生き生きと楽しみながらに参画していました。私はそのようにして、気がつくと24年目を迎えています。しかし、この清瀬市と市民との参画で良いまち作りをしていこうと言う前市長、星野繁氏の施策の1つの大きな柱であった事が、現市長、渋谷金太郎氏になってからは、形骸化してきていることを感じずにはいられません。行政を動かす市長の基本姿勢が市民生活にとって、どんなに大きな影響力あり、重要なのかと今さらながら気がつきました。

 

 どうもこの国の人々は、小さいときから自分の意見を言うチャンスに恵まれず、勇気を持って発言するといじめに遭ったり、仲間はずれにされたりと、少数の意見が尊重され自分が認められるという体験に乏しいのではないかと感じています。リーダーの顔色を見ながら風を読む。そんなことが意図してではないのですが、この国にそして清瀬市にもすでに起こっています。なんだか窮屈で市民の声が活かされていない。介護や福祉、市民活動など暮らしに直結する問題に対する予算の縮小もある値上げの予定もある。どうしたのだろうと考えていた時に「みんなで清瀬の市政を考える会」の方々が我が家をお尋ねになったのです。12月20日の夜だったと思います。当初の訪問の内容は「良い市長候補者をご存じ有りませんか?」と言う趣旨でした。

「確かに市長で、この町は大きく変わるのですねー」「良い方がいれば良いのですが・・・」と言う話から、ついつい私の日頃の不満が口に出て皆さんと意見が一致。いろいろな話で盛り上がりました。そしてなんと「探しに行かなくても、ここに池田さんがいたじゃないか。私たちは池田さんが良い!池田さんにお願いしよう!」。とびっくりするような話に発展・・・・。もちろんお断りをしましたが、では「清瀬市はこのままで良いの?」と投げかけられました。答えはもちろん「このままで良いはずは無い」そのようなやりとりを何回か繰り返して、1月8日の夜、悩みながらもとうとう私は、市長選挙に出馬することを決心しました。だってこの町が大好きだから。

 皆さんのお話では、選挙は市民の方々による昔流に言えば、勝手連、最近の表現としては野党共闘でやると言う事でしたし、各政党とも良い候補者がいれば自分たちも一緒にやりましょうとの反応だと聞いていましたので、何の疑いも無く私は了解したのです。

「出たい人より 出したい人を」と言う市川房枝さんの言葉も思い出しました。

 清瀬市の市長選挙としては、初めての女性市長候補予定者であることも意義深いと感じています。そして共産党公認候補では無い存在。(清瀬市の市長選挙は、だいたい自民党と共産党での戦い)組織もお金も無いけれど、なんとか市政を変えたいという市民の思いがとても強くあることも私を勇気づけ決心させました。しかし私の力不足なのでしょう、現在の段階ではこの野党共闘はまだ道半ばです。でも選挙の最終日には少なくても日本国憲法を守りたいと考えている市議会議員候補予定者の方々と一緒に、市民の皆様に前に並んでご挨拶が出来ればと諦めずに働きかけていきたいです。

 市議の経験も無いあなたに何が出来るのか?と問われました。普通の市民の実感と生活を支える女性の目線でのびのびと意見が言える・しがらみが無い・そして何よりも清瀬が大好きな市民として、皆様の声を聞いて寄り添うことが出来ると考えています。成人男子が基本となる市政では無く、女性や弱者を基本とする視点こそ、この清瀬のまちには必要なのでは無いでしょうか?

 

 気がつくと新市庁舎問題も形式的に市民の声を聞いたような形を取って決定され、いつの間にか予算もオーバー。公共施設再建計画についても、今からでは意見が言えないほど計画が進んでいると言う現実があります。これは行政だけに問題があるのでは無く、私たち市民も悪いのです。市政についてお任せする事が習慣になっていて、何だかいつでも大丈夫と無関心。疑うことが無いのです。このままのお任せでは本当に良いまちづくりは出来ません市政の大事なことは市民が決めると言う住民自治の自覚が必要です。いつも市政を観察し自分たちの税金の使い方を監視する意識が重要です。情報は計画段階から市民に知らせて意見を求める。各委員会には少なくても三分の一は市民の参画を求め、初めから答えありきでは無い委員会にすべきです。まずはその問題について専門家のレクチャーがあり、行政と市民が対等な立場で互いの意見を聞き合い、知恵を出し合って何かを作り上げる住民自治。そのようなしくみを作ることを提案したいです。そのために私たちが作った「みんなが主役」市民の会-夢をカタチに-の活動を広げることが大切です。私たちが活動をスタートさせてから6回のタウンミーティングを行う中で、市民生活のこと、新市庁舎、公共施設再建計画などについても様々な提案がありました。

 可能な見直しについては、市民の合意を得て出来ることは考えていこうと思います。

 

 DVによる子どもへの虐待が今社会で問題になっていますが、「子どもの人権」が尊重されることが何より重要です。子どもはその保護者(親権者)の特別な存在ではありますが所有物では無いこと。生まれた時から一人の人間であり社会にとって大切な宝物です。そのことを忘れてはいけないと思います。もちろん子ども自身に自分の権利をしらせること、自尊意識、自分をまるごとそのまま認めて愛する力を引き出すこと、人権を犯す存在に対しては相手がだれであってもNOとはっきり言える教育も絶えずしていかなければいけないと思っています。子どもからお年寄りまでだれもが自分らしくいきいきくらせるまち清瀬を作っていきたいです。

 

 最後になりましたが、私は日本国憲法を尊重し、原発には反対。平和は非武装・非暴力で実現と考えています。

 

 今日は私の記者会見にお集まりいただきありがとうございました

2019年3月11日  池田 いづみ

 

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タウンミーティング風景

ベアテ・シロタ・ゴードンさんのこと

 アイレックまつりの思い出としては ベアテ・シロタ・ゴードンさんの講演会「ベアテの夢見た男女平等」ー憲法24条にたずさわってー

という企画の実現に奔走したこと…。

 

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ベアテさんと私の家族とともに

 津田塾大学の創立記念に、卒業生(ベアテと語る「女性の幸福と憲法」の聞き手で、NY在住の津田塾大学出身者の村山アツ子さん)が、ベアテさんを呼んで記念講演会を開こうとしていた。そこで9条の会がタイアップして日本中の9条の会を巡回するという話があつた。その情報を友人がつかみ、もし可能ならその間の空いている時間にベアテさんを清瀬に呼べないかと提案する。池田も来て欲しいと頼まれその会に参加して、清瀬に○○万円で来て欲しいと9条の会にお願いする。OKだったので、いろいろなミーティングに参加していたのだが、しかしなぜか9条の会は突然手を引いてしまった。友人も仕事があり参加は出来なくなっていた。

 津田塾の関係者(村山アツ子さん)はなんとかできないかと大変お困りの様子だった。内情はベアテの1回の講演料は最低でも○○万円ぐらいだった(しかもドル建てでの支払いしか受け付けなかった)し、日本に行くなら最低5カ所以上の設定が必要と言うことで行きづまる。父に話すと恵泉女学園・桜美林大学・青山学院女子短大学に話を付けてくれた。

 ベアテとはメールでやりとりする。最初は私が書いたがらちがあかないので父に頼む。ベアテは若い学生に話ができると大喜び。日本で話したことがたくさんあったようだが、いつも高齢者ばかりだったとか。(彼女はキリスト教徒では無かったので学校関係に入り込むチャンスが無かった)そして最後には清瀬は特別価格で良いと言ってくれた。

 しかし彼女の夫が9条の話をするなら出さないとクレームを付ける。2007年だった。彼の話では9条の話をベアテがするとCIAが動き、ベアテが危ないというのだ。日本人としてはにわかに信じられない話だったが、私が聞きたいのは24条だったので、24条だけの話と言うことで承諾してもらった。条件はボディーガードを付ける事だった。私の息子は182cm柔道部だったので、黒いスーツでそれらしく立ち、メールで配信。彼は納得した。

 ベアテはすごく魅力的で日本語も上手。どこででも歓迎され講演会の後には学生との交流会もして、大満足だった。私もホテルでいろいろな話を個人的にも聞く事が出来、父とも打ち解け彼女と父は歌ったりしてたのしい時間を共有した。彼女の誕生日もアイレック関係者と一緒に祝うことができた。

 彼女との出会いも楽しい思い出である。

 

 アイレックまつりの講演会のあと、ホテルまで車で送っていった、別れるときにベアテは私の手を握って言った。

「いづみ、遠慮しないで何でもやりなさい。私の事も呼べたでしょ!本気でやろうとすればあなたには何でもできる力がある。本当よ。やれない事なんてなにも無いのよ。大丈夫自信を持ってやりなさい!」

そしてもう一度手を強く握って手を振った。

「いづみありがとう!またね」

 

 私は、そんなこと言ったって何ができるのだろう?と心で思った。

 でも今になって、何だか彼女の言葉が私の心に強く響いてきた。

立憲民主党  阿部とも子さんより激励された。

 私が市長候補者となることを決意する前に、親しい友人の意見を聞いたりした。皆さん、厳しい意見が多く、賛同する方はほとんどいなかった。
 しかし私を生まれる前から知っているといつも話す、小澤俊夫さん(日本のドイツ文学者、筑波大学名誉教授)は全く違っていた。すぐに応援してくださり「いづみちゃんのご両親もきっと賛成している」「いづみちゃんになら出来る」と私の心を押してくださった。
 決心したと伝えるとすぐに推薦文を書いてくださったし、「そうだ!」と言って立憲民主党の阿部とも子さんに連絡をして、お目にかかる段取りを付けてくださった。彼女に応援してもらうことがきっと大きな力になる! 私もそう感じて、私たち市民が作り上げた『「みんなが主役」市民の会ー夢をカタチにー』のメンバーと共に議員会館でお目にかかった。
 阿部とも子さんは「候補者になったからには絶対に勝つ!」「お目にかかった方は一人残らず味方にするその決心が大切。」「しっかり握手(両手)をしながらきちんと相手の方の目を見ること。」「応援してくださる方々に報いるためにも絶対に勝つ!」など候補者としての心得などもお教え頂いた。握手をしている写真も撮って頂いて、「この写真を上手に活用しなさい。かならず頑張るように」と激励を受けた。ありがたいことだったし心の準備が出来た。
 まだ上手に握手が出来てはいないけれど、握手するときには必ずそばに阿部とも子さんがいて、「気をこめなさい。あなたの思いを伝えなさい」と耳元で声を掛けてくださっている。
 

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阿部とも子さん(右)とともに
 
 池田いづみの母、鳥海道子は23歳の時(独身時代)日本キリスト教矯風会より派遣され、1939年1月16日、中国北京天橋貧民窟にセツルメント「愛隣館」を開館した。医師・看護師は日本から参加現地スタッフ。母は主に事務局・授産部・日本語教師・募金担当。
 その時同じ教会のメンバーとして出会った小澤さくらさんは母のよき後援者としてまた、実際に中国の貧しい娘達に和裁の指導などして彼女たちの経済的自立を助けた。
 小澤さくらさんにはその時まだ幼い4人兄弟(長男は芸大で彫刻を学び、次男はドイツ語(今は昔話研究家)三男は世界的指揮者小澤征爾、4男は早稲田から演劇を学び役者となり…。)がいて、母にとって彼等と過ごす時間は、ホットする暖かい時間だった。その後、母は父と出会い結婚。さくらさんは姉のように母を受け入れて、日本への引き揚げ後もずーっと池田の家とのつながりがあった。私は赤ちゃんの時から彼等の家に母の忙しいときには預けられてかわいがって頂いた。中学時代は家庭科の宿題を持って小澤家に泊まり込み、さくらおばさまの指導でミシン掛けをしたり、刺繍をしたりした。母が清廉潔白な人だったので、小澤家の自由さは私にも安らぎだった。

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